(有)宮沢新聞店の歴史

 

現在の(有)宮沢新聞店のルーツを紐解くと、そもそもの歴史は大正時代に遡る。

宮沢賢治の師とも言われ、賢治の代表作「雨ニモマケズ」のモデルではないかと言われるキリスト教伝道者、斎藤宗次郎(1877~1968)より、宮澤豊治(現所長の祖父)が譲り受けたのが始まりである。

 

2005年に発行された斎藤宗次郎氏の自叙伝によると、

1926年(大正15年)5月10日、「‐‐宮澤豊治氏は二回共駅に出て新聞の取扱いを練習する。小店員も今日は見えた。斯くて知らず識らずの間に予の二十年の仕事は氏の手に移さるるのである。受くる者も与うる他位に在る者も幸福である。(略)幾多の志望者にも不満を起こさしめず新聞紙までは興論代表の如き働きをなすに至ったのである。真に感謝の外はない。」(斎藤宗次郎自叙伝より)

と書かれている。宮沢新聞店誕生の瞬間である。

 

当時は新聞販売店は専売制(朝日や読売など一紙専業の販売)ではなく、世間に流通している全新聞を扱っていた。

列車で送られてくる新聞を駅まで迎えに行き、その場で仕分け、荷車(後にリアカー)を引っ張って店まで運んできた模様。

その後、配達は当然、徒歩。祖母も新聞を抱え、徒歩で配達したそうである。

 

時代は下って戦後。専売化の波の中、日本を代表する全国紙である朝日新聞の専売店として再スタートした宮沢新聞店。経営はかなり苦しかったという。

(写真は昭和20年中~後期)

 

昭和47年、二代目宮澤良爾に事業を継承。平成3年には有限会社化。

高度成長、オイルショック、バブルとその後の不況など、様々な時代の波を受けながら、平成17年、三代目宮澤勝彦就任。現在に至っている。

 

 

 

 

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